MD 玉岡自己紹介

気持ちの良い晴天の日で明けた2010年1月より、このコーナーを担当することになりました玉岡です。
よろしくお願いします!

2009年の9月に『オーダースーツのヨシムラ』の一員となって、はや4ヶ月、無事?新年を迎えることが出来ました。
実際の私の仕事ぶりは、無事ではなく、生傷が絶えない毎日でした。
お客様にも何度か、ご迷惑をお掛けしまして誠に申し訳ありませんでした。
ここになんとか、お客様や先輩スタッフに支えられて嬉しくも、2010年という区切りの良い年のスタート台に立っております。

そんな私に、暮れにSHOPMASTERの吉村から新たな役割の提案がありました。
それは『オーダースーツのヨシムラ』のホームページを通じて、お客様へファッションにまつわる情報を提供しよう!という企画です。
これは、大手アパレルで長年MDに携わってきた私のキャリアがオーダースーツのヨシムラには従来なかったスタイルでの情報提供の切り口になる、という考えや狙いからだと思いますが、折角の機会ですので、例えば、シーズントレンドファッション知識ファッション関係の人達ファッション業界の舞台裏などについて、毎週1回の更新位でお届けしたいと思います。
まずは自己紹介が必要と思いますので、私がファッションに興味を持ったきっかけをお話したいと思います。

〜 学生時代 〜
子供のころの私は、ファッションより、もっぱらスポーツに興味が集中しておりました。
小中学生時代は、結構、乱暴な子供だったせいもあって、父から柔道を勧められ、9年間続けましたが、高校では、当時、女の子にモテたサッカー部に入ろうと思ってたのですが私が入学した高校には、サッカー部は無く、仕方ないので同好会を作って始めたのですが、動機が不純だったせいか長続きしませんでした。
この頃、親に買ってもらって着てたのが『VAN BOYS』でした。
それは丁度昭和40年代の頃だと思います。

その後(昭和50年代)は、学生時代唯一の文化活動だったバンドを通じて知った、海外の、特にイギリスの『モッズ』やアメリカの『アイビー』ファッションに興味を覚え、スポーツ、音楽、そして服、と好きの幅が広がって行きました。

大学では勉強はそっちのけで、4年間ラグビーをやってましたが、服への興味は衰える事無く続いていて、当時は運動部系の学生の間では、着ていて楽なアメリカ西海岸ファッションのヘビーデューティーアイビーが流行っており、ダウンベストやダウンパーカーの下にスエットやパーカー、パンツはデニムやコーデュロイ、レザースニーカーというファッションを好んでしてました。
人気ブランドは、エディーバウアー、モンクレー、チャンピオン、リーやコンバースでした。雑誌『POPEYE』を何度も読み返していたのもこの頃でした。そして、就職は迷わずファッションメーカーの門をたたいてしまったのです。

〜 就職に際して・・・ 〜
楽しかった学生生活も残り少なくなって、さぁ就職という時、Aの数は一桁だし、コネも無いしで選んだ業界は、体育会系が有利、成績は関係無しといったまったく根拠の無い情報と好きなものという動機でファッション業界を一直線に選びました。
結果、第一志望、第二志望は見事に落ちて、縁があった大賀株式会社が採用してくれることになり以後30年あまりを苦中楽有、忙中閑有で、私なりに打ち込んできました。

今は、紆余曲折ありましたが、オーダーファッションの仕事が自分にとって天職だと思えるようになった事は、素晴らしいことだと思っております。

入社当初の私の好きなファッションは、アメリカントラッドで好きなブランドは、J・プレスや特にポロが大好きでした。
大賀には当時、ヨーロピアンの服ばかりで、トラッドの服は販売していなかったのです。
渋々、社員着用で安く購入できるので、コンケープショルダーのテッドラピドス・スーツを着ていたのですが、ナチュラルショルダー好きの私にはやはり満足できず、西武百貨店のポロショップへ行って、高い服や靴を少ない給料から買ったものです。
ただ、当時の好きな服を手に入れた時の嬉しさは、今だに良く覚えています。

〜 大手アパレル大賀での仕事 〜
社内でやっとトラッドブランドを販売するようになって、安く購入できるようになったと思ったら、DCブランドブームになってトラッド着ている人間は肩身の狭い思いをした覚えがあります。
私が30代の頃だったと思います。
大賀では、ミスタージュンコが社内外で大人気でしたが、私は一度も購入しませんでした。
あのルーズなシルエットのサイズ感が好きになれなっかたのです。
その後は、つくりの良いプレタブランドのロベルタ・ディ・カメリーノやイエガーのパターンオーダーを着用していました。
やはり仕立てが良くシルエットのきれいな服が好みだったのです。

40代になってすぐに、今度はかなり尖がった英国のブランドでキャサリン・ハムネットの営業を担当することになったのですが、服のラインやショップ、販売スタッフ、販促物などに、あまりに今まで担当していたブランドとの違いから、大きなカルチャーショックを受けたものです(ただし、この経験は、後々人間関係や企画や仕入などの面で、とても貴重な事となりました)。

キャサリン・ハムネットの販売を10年近く担当した後が、トレンドブランドから超コンサバなイージーオーダーを中心とした営業の仕事に変わりました。
正直、嫌でしたが、打ち込むうちに、努力がストレートに結果となって帰ってくるこの仕事にやりがいを感じるようになり、オリジナルのワールズビスポークというオーダーブランドショップを銀座に出店することもできました。

〜 ヨシムラに入って 〜
今では、オーダースーツを中心としたテーラードファッションにかかわる仕事を天職として、フィールドは大賀からヨシムラの変わりましたが、今後も多くの人たちに愛される服作りを通じて喜んでもらい、また、私のこれまでのキャリアで培った数々の情報をこの「MD玉岡の眼」のページで皆さんにご紹介し、これを励みに、日々仕事に全力で打ち込んで行きたいと思います。

皆様のご支援のほど、宜しくお願いいたします。